2014年5月23日金曜日

わがままで依存的な部下。 どう教育したら?

わがままで依存的な部下がいます。
顔を見るのもイヤになってきます。
どう教育したら?  


プロセスへの関心を強くし、成功体験をひとつでも多くさせましょう。

自己本位で依存的、自分が周囲に与えている影響が分からない人っていますね。
 
自分本位なのに、依存している人
 ・・・とは、随分矛盾しているように感じませんか?

確かに矛盾しています。

だから自分が周囲に与えている影響も分からないのです。
彼らのいい分には硬直した態度と、明白で具体的な特長が観察できます。

 ・結果が悪いのは、景気のせいだ。
 ・会社が悪いから、やる気が起こらない。
 ・労働条件が悪いから、人が辞めていくのは当たり前。
 ・あんな人とは話したくない。
 ・やったって、どうせうまくいかないに決まっている。
 ・前にもやった。
 ・やり方も分からないのにできるわけがない。

自分の行動、感情、人生は他人や周囲に影響されているという考え方です。
 
しかも、自分では依存していることに気がついていないので、
自立した成人なら恥ずかしくて言えないようなことを平気でいいます。

自分が自己本位であること。
また自分が周囲にどんな悪影響を与えているかも分からないままです。


彼らにはライフスキルの中でも「自己認識スキル」が決定的に欠けています。

彼らは、自分は悪くないと固執しているので、 評論家的な態度をとることで自分の責任をはぐらかします。

彼らは、自分は悪くないと固執しているので、 評論家的な態度をとることで自分の責任をはぐらかします。

自分に責任があることでも、自分を第三者、被害者の立場に置き換えて説明します。
道理が分かる人なら奇異に感じ、 筋の通らない論理に苛立つことも少なくありません。

ですから、筋違いを指摘しても持論を変えようとはしないのも特徴的です。
あなたが顔を見るのもイヤだと思うのは、 そういうところから来ているのでしょうね。 



さらに、彼らの仕事の仕方には、際立った特長があります。

 ・ 結果の保証がないことはしたがらない。
 ・自分が経験していないことはしたがらない。
 ・自分が考えたことのないことはしたがらない。
 ・コントロールできそうに思えないことはしない。
 ・準備された状態でないとしない。

この発想の根拠が、本人の実際の能力とは無関係である点が残念です。
「自己認識スキル」が欠けているためです。

その背景には、自分でコントロールできないことを極端に嫌う傾向があります。
やったことがないこと、手に負えないと感じたこと、
どこから着手していいのか分からないこと、自信がないことを嫌います。

過去の経験から自分が確信できること。自分が知っていること、出来ること、
保証のある安心できる場合には関心を示すものの、 不安を感じることには無関心を決め込み関わろうとしません。

そのため、なにかにつけて消極的で、好奇心を示しません。


間違ったプライドが高いので、
自分の得意と思う分野では実用的であるかどうかは度外視して誇示します。

つまり仕事に自分を合わす傾向が乏しく、自分に仕事を合わせることに専念します。
彼らは逃避の文法「ごもっとも・・・しかし・・・もし・・・」を 使う名人となり、事の重要性は分かっていても、 正しい優先順位を決めることができません。

これは非現実的な硬直化した態度です。
実際の世の中は制約だらけです。

なにか不足があったり、思うようにならない制約があるのが現実です。
それと向き合いながら、自分の創意工夫で目標を達成して行くのが一般的です。
ですから難易度の高いことに散り組むほど、 自己認識が高まりエネルギーが生じます。
つまり自律心によって、 自分が事態をコントロールしているという実感が高まり、自己肯定感が強まります。
一般にはやり方が分からないことに臨んで行くのが普通です。

ところが常に保証を求める彼らにはありえないことと映ります。
彼らにとって臨む課題は、ゴールインが間違いないことです。
準備された状態とは、制約のない状態に近いことを意味しています。

この自己本位で依存的、自分が周囲に与えている影響が分からない人とは、 赤ん坊のような存在といえます。
周りが全部お膳立てして、
「さあ、用意万端整いました。ゴールインは間違いございませんので、 大いに腕を奮って下さいませ。」というような状態でないと やらないと言っているようなものです。

3つの単語を連ねて、「やりたいけれど、できない、できるようになれば」と
並べることで、自分の責任ではないことを伝えようとします。

たとえばこんな感じです。
「その通りです。教育は大事ですよね。 しかし、スタッフにやらせたら、思うようにできないのです。 もし、スタッフがもっと意欲をもってやってくれたらいい結果になるのですが。」

Yes(もちろん)、But(しかし)、If(もし)・・・を使うと、 なにもしない状態が続きます。

この習性のため自分の手によって、 せっかくの能力を生かしきれない状態にしてしまいます。

彼らの仕組みからすると、 保証された結果の見える目標とは、過去に体験したことしかありません。
これではいくら達成してもよろこびもなく成長はありません。

逆に、マンネリがあるだけなので、彼らの予想に反してストレスを感じるだけです。
どうにも切ないのは、このストレスの原因が、 偏向した目標設定にあると考えないことです。

結局、疲労の原因を環境がハードであるからとか、周囲のせいにします。
彼らの思考プロセスでは、そうとしか思えないのです。

これでは、問題解決から遠のくばかりか、過去の成果も獲得できなくなります。
ゴールインできないもうひとつの大きな原因は、 彼らのいう達成方法も数少ない成功体験によるもので、 客観性に欠けていることです。

成功の基準も、やり方もひとりよがりで、柔軟性がありません。

その最大の原因は、道理、原理原則を無視して、 自分に仕事を合わせようとする態度にあります。
彼らの仕組みの帰結として、時の経過から次第に「生きている化石」化してきます。

自己認識がないので、気づくより、逆に固執することで自分を守ろうとします。
恒常的に、自分を観察しない分、他者の欠点に注目しています、
おかげで、他者の欠点、落ち度、悪口、不平、不満のオンパレードとなります。


彼らに言わせると、自分は才能もあり、努力しているが、 成長しないのは環境のせいになります。自分の主観で物事を見る習慣がついているのです。

「誰も自分を認めない」「分かってくれない」などと言いますが、 分かってもらうための工夫も行動も起こしません。

教えを乞うことに抵抗を示し、教えを乞う機会を作ることもせず、 機会をつくっても分かっているような態度をとり、チャンスを潰します。
自分の仕組みが、自分のことはそっちのけにして、 責任は他者に押しつけるものだと気がつきません。

問題は個人に留まりません。
同じような考え方をする仲間を作ろうと働きかけます。
他人のせいにすると自分は楽です。
楽になりたいと思う人は多いので仲間は増えます。
周囲の犠牲者であるというのが彼らの口ぐせです。

自律心がないまま、主体性をもたず依存している自覚がないのです。
自意識が高いけれど、自己認識ができないメカニズムの本当は、 自己否定感の強さにあります。
気づきたくないと必死に目をそらしているのかも知れません。
是非とも本当は鷹なのに、あひると思わず、 鷹らしく飛ぶ練習をしてもらいたいものです。 
本人が問題を認識しない限り、逃避は続きます。

彼らにはメンタル・コーチングによって、自律心の向上を求めるのは困難ですので、
具体的な指示によって行動を促すことを優先します。
成功体験を数多く増やして柔軟性を高めるようにします。

ポイントは若い間にどんどんいろんな体験させることです。

顔を見るのもイヤだとしたら、良い関係もできないし、ともに成長もありません。
積極的なマネジメントのもとで、チャレンジさせること。
そして結果も大事ですが、それ以上にプロセスに注目すること。
プロセスに注目すると、関わる機会が増えます。
それが大事です。

そして、あなたがかけがいのないひとだというメッセージをたくさん送ることです。

プロセスへの関心を強くし、言葉でなく態度、行動で表現できます。
あなたがカレを成功者にしてあげたいと本心から思えば、伝わります。
弱点を受け入れ、守ってあげる気持ちを強くしましょう。




2014年2月7日金曜日

やりたいと思うがすぐに行動できません。すぐ行動できるようになるには?


とにかくすぐやる。やりだしたらノン・ストップ。
「走しりながら考えろ」という言葉を聴いたことはありませんか?
「行動しながら考えたらいい」ということですが、なかなかできない人がいます。実はほとんどの方はそうです。 
なぜなら、準備や経験を積んでからやりなさいという教えが小さい頃から入りこんでしまっているからです。
そのことは間違いではありませんが、その方法には少し欠点があります。
小学校の教育を思い起こしてください。1年生がいきなり6年生の授業を受けることはありませんよね。
当たり前だと思いますよね、なぜ当たり前に思うかというと、基礎ができていないと考えるからだと思います。
 私たちは幼い頃から、基礎を学んでからでないとできないという教えを受けています。
だから何をするにしても基礎からやるものだと思い込んでいます。それは間違いではありませんが、そのために、一方では大変だ、あるいは面倒くさいと思うのも事実です。
 したいけれど、その前にやらなくてはいけないことがある。と考え、行動に移す手前で足踏みしてしまいます。
アレコレ想像している段階で止まってしまうのです。
すると、簡単ではないと思い込み、だんだん面倒になってきます。
慌ててやってもうまくいかない、そのうちやるよ、ゆっくりやるよ、ということになります。まして重要なことや、自分がしたいことほど、その傾向は強くなってしまいます。
強くなっても、それだけ重要なことだからと自分でも、周囲の人にも、納得できる言い回しがもっともらしく聴こえます。
 そこで「基礎」にすぐ取り組めばいいのですが、面倒だなという気持ちがブレーキになって、「そのうち」だけが記憶に残り、行動を遅らせることになります。
やがていろんなことが身の周りに起こり、いつしか忘れたり、なにも取り組んでいない状態が続くことから、次第にあきらめに変わって行きます。
たとえば、何か資格をとろうとして、テキストを選びます。すぐ、その日のうちに、数ページ学習して、次にまた数ページ学習する。理解できても出来なくても、とにかく最後まで進んでしまう。

そこで分らなかったら、もう一度最初からやる。でも今度は自然に、少し考えながら取り組むようになるはずです。
つまりとにかくやる、次に自分を信じて、もう一度やってみる。自分を信じてというのは、自分もバカでないから、少し考えながら取り組むだろうということです。
そうすると進んで行きます。
できない人はこれと違った行動をします。
テキストを選びます。まずは環境と気持ちを整えようと思い、明日からがんばろうとします。次の日も同じです。気持ちを整えようとしても、億劫な気持ちはそのままです。
億劫な気持ちについては、「よしやるぞ」でしか解決できません。
あるいは、1ぺージ目から数ページの学習しましたが、数日間休んで学習しなかったために、分らなくなり、また最初の1ぺージ目から始めるというパターンに陥ります。
これを繰り返したら、いつも同じところからの学習で、いっこうに進まずにイヤになります。自分には不適切なんだと思います。
不適切という結論を出すだけも、していないのに、錯覚から結論づけてしまいます。
こういうことって玄関の郵便受けまで行きたいけど、いまは寝転がっていて、起きるのは面倒だな。というのと似ています。
こんなときエイ、ヤッで起きていくしかない。それと同じです。
やると決めたら、すぐにやる。やりだしたら分らなくてもやめない。うまくいかないことを気にしない、できないのは当たり前なんだから、止まらずにやっていたら、そのうちできるようになる。
止まっていたら、できるものでも、できません。
だから走りながら考える、これが走りながら考えろということです。
準備は大事ですが、面倒だなと思ってなにも進まない状態を準備とはいいません。
まず行動する習慣を先に身につけて、失敗を経験することです。
行動は苦にならないけど、失敗は気になるという状態になったら、やる気がある状態になったといえます。
そうなったら、どうすればできるかを、真剣に考えるようになります。

PDCAが熱く回り始めます。

その状態になるまでは、ノン・ストップです。


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2014年2月6日木曜日

ストレスからスタッフの心が折れて離職していく。有効な対策を教えて。

「SEの仕事をしています。徹夜が続き、それに見合う収入がないのも問題ですが、違う次元で問題があり、スタッフの心が折れてしまっているようです。 いい対策はないでしょうか?」

目標だけでなく、目的を共有する。経営理念は伊達じゃない。本気の理念がありますか?




最初にお断りしておきますが、身体的な疲労は休息で回復できますので、身体的な問題は除外して考えます。

ここでは「脳と感情と身体(=心)」から「脳と感情」に絞った回答をさせていただきます。

自分が自分をコントロールしている実感がないと、心は折れてしまうものです。
つまり、主体性のある仕事の仕方に変えることが必要です。

そうは言っても、クライアントがあっての仕事、自分のペースで仕事をするという意味ではなく、「主体性」を持つことです。

自分のペースで仕事ができる状態であっても、主体性のない人はたくさんいます。
主体性とは、自分が「目的」を持っていることです。
目的のない仕事をしているとは、すでに自分を見失った状態です。

●会社の目的を明確に打ち出しているか、
●会社の目的と個人の目的との間に矛盾はないか
●会社と個人の価値観のすり合わせをしているか
●会社と個人の価値観の違う人がいないか
●会社の目的を個人と共有しているか
 


以上を確認して、整えるようにしてください。

目的、価値観が共有できないようでは、烏合の衆です。企業の規模を問わず、この状態の会社が多い。零細企業には裸の王様のような社長がたくさんいます。


▼物事が達成できる人には、共通した条件がある。

・目的(ゴール)が明確
・目標に無理がなく、目標から逆算した計画があり、実行が出来る
・継続する仕組みがある
・感情のコントロールができて、我慢力がある
・コミュニケーション・スキルが強い
・流行りの情報に振り回されてない
・結果を急がず、マネジメントサイクルを回す

▼達成できない人にも、共通した条件がある。

・目的(ゴール)が曖昧
・目標に無理があり、計画に難があり、実行が出来ていない
・継続する仕組みがない
・感情のコントロールができず、我慢力が弱い
・コミュニケーション・スキルが弱い
・流行りの情報に振り回されている。
・結果を急ぎ、マネジメントサイクルを回せない
達成できない人の共通した条件は、達成する人の条件が反転したものです。


目標は企業活動をしている限り、未来永劫に続きます。やってもやっても新しい日、週、月、年がやってきます。毎回ゼロから始まります。

目的は、やった分だけ「成果」が残って行きます。大きく育ってもいきます。だから「やりがい」が財産になっていきます。

本気でやったことのある人なら分かる話です。

それにしても、この条件は、数多くの人々をリサーチした結果の「特定された条件」でしかありません。この背景には、リサーチしても浮かばない「本当の理由」が隠れています。

目的もないままに、目標を打ち立てるのは、砂の城。
目的もないままに「感情」たとえば「やらなければならない」「成功したい」「喜んでもらいたい」などで目標を設定してしまうからです。

「理性で考える」のと、「感情で考え行動する」
この境界線を明確に区別するのは、特に本人には難しい。

たとえば、「こんなことを言うと嫌われるかも知れない」と思いながら、話しかけるとき、すでに感情で考えて行動しています。

自分がためらうことなら相手の感情に波風立てる可能性は高いので、本当は両者が心の準備をして話し合える場を用意するのがいい。

ところが一刻も早くその場から去りたい気持ちが強いと、通りすがりに話しかける。

相手に心の準備ができていないので、重要な話であるほど、コミュニケーションはうまくできない。
避けたい感情に支配されたまま行動すると関係をこじらせてしまう。
「やらなければならない」という思いで目標に取り組むことはできる。
しかし、思いを強くしなければならない課題であればあるほど、困難がつきまといます。


禁煙ができない人、ダイエットができない人は、煙草を吸いたい、食べたいと欲求を満たしたい感情に注目します。
感情には注目するが、「自分はどうなりたいのか」「自分はどう考えているのか」にはほとんど注目しない。

困ったときに目標だけがある状態では、重圧に心が折れてしまいます。
困難に負けずに乗り越える勇気になるもの、それが目的です。

だから目的は、内向きでなく、外向いているほうがいい。
人は自分のために頑張るより、他者や世の中のために頑張れるように出来ています。

自分ためなら簡単にあきらめることができてしまう。
自分が我慢したら済んでしまう。心が折れるとは、自分を敵に回した状態です。

「何のために、この仕事をしているのか」

徹底的に話し合ってみてください。


併せて<ワークライフバランス>への取り組みを真摯に進めてください。



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2014年2月5日水曜日

信じていた人が信用できなくなりました。 どうしたらいい?   

人間は万能の神ではなく、限界があります。しかも能力の限界が違います。さらに限界を突破しょうという人もいれば、できないと思う人もいます。結局は自分の選択と決断です。その時の基準となるのが。。。

相手に非があるから、不信が起こっていることだと思います。
それをどう受け止めるか、その非が犯罪的なことであれば答えは明白ですが、そうでないなら注意が必要です。 

自分が与えたことと与えられたバランスで、受け取るものが少ないと感じると不信は強まります。決してGIVE&TAKEがすべてではありませんが、<人間関係のマナー>として、もう一度、GIVE&TAKEの視点から見直してみるのです。

気をつけたいのは、非は日常的に、しかも不意に発生することです。
あなたも他者に無意識に、あるいは間違えてしてしまうことがあるようにです。

信じていた人が信じられなくなった場合、以前はバランスがそれなりに取れていた点に注目しましょう。
それなりにとは、あなたが受ける分に不足があったかもしれないという意味です。
 
ゴミも積もれば山となるように、小さな不満がたまっていた状態で、つまり日ごろから自分の内側に「こんなにしてるのに」と思っている状態で、相手に非がある出来事が起こると、一気に山は崩れます。

いまがその状態ではないでしょうか? 
小さな不満・・・つまり、気に入らないリストを、あなたのこころに書き込んでいたのではないでしょうか?

気に入らないリストは心の傷リストなのです。

「信用できない!」は、こんなに傷つけられているという糾弾ではないでしょうか。

その糾弾に答えを出すのはあなた。
そこで、自分の傷を見続けるか、相手の気持ちを見つめるかの選択です。

相手が自分が受け取るばかりで、与えていないと思っているかどうか。
多分、そうは思っていないかも知れません。
実態としたら、悪気があるわけでもなんでもなく、相手はあまり気にしていないのかも知れません。

つまり「人間性」の問題にもならない程度でしかないこともあります。

ひどい言い方すれば、あなたが与えてくれるから受け取っているだけかも知れません。
GIVE&TAKEを考えていない。
つまりリストを作っていない状態。そういうこともありですよね。

だからといって感謝していないわけではないし、なにかあったら応援もしようと思っているかもしれません。

それは感性の違い、価値観の違い。あるいは表現の違いかも知れない。
 
重要なことは、その違いを否定するのもあなたの選択だし、違いがあることを受け入れるのもあなたの選択である点です。

神様、仏様の気持ちになりなさいという気はサラサラありません。
むしろ反対です。
人間は万能の神ではありません。限界があります。
しかも限界は人によって違うのです。
そこに立って考えたらどうなるか。

そこからの回答です。 人はそれぞれ違うから、人の魅力があるわけです。
すると、こういう人もいるんだって解釈もありです。こういう人以上に魅力的な人もいます。以下の人もいます。それぞれに「能力の限界」があるのです。限界を突き破ろうとする人もいれば、限界に甘んじてしまう人もいます。人それぞれなのです。

あなたも、そう感じているはずです。
感じているから、「どうしたらいいのか」って悩む。
違いがあることを受け入れるのがいいのか、あるいは気にいらないリストにこだわることを私のモットーとするのか、
2つのモットーの狭間で苦しんでいるわけです。 

大事なことは、自分が気持ち良く生きて行こうとしたとき、どちらが選んだ方がいいのか。選択と決断です。

気にいらないリストにこだわって自分を他者の被害者にしたいのか、人はさまざまを受け入れて、自分を自分の人生の主人公にしたいのか、その<選択と決断>はあなたが自分の意志で行うことです。

与えたのはあなたの意志だったはず。
友人、恋人によって幸福にしてもらうつもりなのか。
あなたの力で幸福になるつもりなのか。


答えは見つかりますよね。


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2014年1月31日金曜日

社会に出るのはとても不安です。 コミュニケーションスキルをあげるのに効果的なことを教えてください。

私は今、専門学校生で来年卒業予定ですが、
人見知りが激しく、うまく人とコミュニケーションがとれません。
社会に出るのはとても不安です。

コミュニケーションスキルをあげるのに効果的なことを教えてください。




どんな職業に就くかで、 なにがどのように必要とされるのか変わってくるでしょうが、「人見知り」というレッテルをはじめ、 社会的な「こうあるべき」のレッテルを気にしないことです。

人見知りが激しいというのは、自分が受け入れらるかどうかが気になって、なにを話していいのかに注目してしまうために話せなくなります。

コミュニケーショで重要なのは「意見そのもの」が重要なのです。 つまり感情ではなく事実が必要なのです。
コミュニケーションとは、相手との違いを発見することです。
どこがどのように違うのか、関心をもって聴くことを情熱的にやれば、 話さないと仕方がないのです。
なぜなら「ボクはこう考えているのですが、 ここが違う。どうしてそう考えるのですか?」と訊かないといけなくなります。
ですから「こうあるべき」のレッテルを気にしないことが大事なのです。

「こうでなければならない」は社会としてもあるし、個人としてもありますが、価値観にしてはいけません。

法律やマナー、エチケットも「こうでなければならない」のひとつです。
共同生活を営む上での人に迷惑をかけないために「こうでなければならない」を遵守する必要がありますが、 それ以外の「こうでなければならない」は、 必ずしも「こうでなければならない」ことはないのです。

自分の価値観で行動するから洞察力や理解力が深まり、瑞々しい自分を育むことができます。
相手も同じだということです。
洞察力や理解力が深まれば、自分の意見が育まれます。
自分の意見が育まれると話したくなります。 
特に相手のことを心配したり、気遣う場合は、話したくなります。
それでも怒らせる場合があります。
話していいこと、悪いことがあるからです。
今度は、話すことより、 話さないようにするにはどうしたらいいのかと悩むことさえ起こります。 自分の意見でないことをペラペラ話しても、うるさいだけです。

単に社交的にふるまうと、八方美人や安請け合いになり、トラブルを引き起こし、周りから信用されない人間になってしまうこともあります。 

話したいことがあっても、話していいかどうか、 自分を抑圧する方へ動いてしまうのは、自分への信頼の問題で、 なにをどのように話していいのかとは次元が違います。

自分への信頼は自分との約束を守る、あきらめない、自分の責任を果たすなどを 通して高めるといいでしょう。すると、自分の意見がどんどん出てくるようになります。
自分の関心もそういう次元に向くようになります。そこにいるひとたちは自分の意見を持っている。そうすると、どんどん聴いてどんどん語るようになり、転がるように自分が変化していきます。
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